2011年03月

R&R is here now

前回のブログはよろしくなかったね
そんなつもりはなかったんだけど

ロックじゃなかった

心配かけてしまった人には
ごめんなさいとありがとうを


心と頭ん中を整理整頓!!

今の自分にとっての音楽は
生活基盤があってこその音楽
まずそこから


大好きな先輩が教えてくれた
「自分のためにPlay&Pray」

オレもそれに倣っていこうと思う


あとは家族と
俺の歌を好きでいてくれる友人のために


いつだってロックが俺を勇気づけてくれてきたんだ
とても大切にしてきた

だからこそチャリティライブってものに対して
自分はどうするべきか
本当に悩んだんだ

マルかバツじゃなくて
自分の立ち位置を
この際だからよく考えたんだ

「今できること」っていう呼びかけに対して
今の俺には何が当てはまるのか
海より深く考えたんだ

そういうヤツもいるのさ
そんなにシンプルじゃないんだ

ライブやってそこに募金箱があれば
一杯呑むのをガマンしてその分募金する

自分の音楽とチャリティは別モノ
人それぞれ
俺は俺

こんなこと言えるのも考えられるのも
生きているからこそだ!


一円でも多くのお金が
一枚でも多くの毛布が
一人分でも多くの食糧が
一日も早く被災地の方々に届きますように


渋谷ガビガビ6周年記念
「愛と平和と復興の3日間」
2011年3月25日〜27日
19:00オープン

6周年おめでとうございます

今夜初日のMCを担当します

少しでも節電に協力できればと
ロウソク持ってきた
みんなにも呼びかけてもらってる

俺は
生音生声でやるつもりです
被災地に届けようなんて大それたことは思ってない
愛する隣人のために精一杯デカイ声で歌うだけだ

ロックンロールは今、ここにある

当たり前なんかじゃない

息をするのを忘れるような
真っ赤に染まる西の空
君がくれた毎日を
確かめながら
抱きしめながら
明日も晴れるねと手をつなぐ

そんなささやかな
ことがしあわせだと
ほんの最近まで
気づかなかった僕は
馬鹿だな

この地球が青いのは
当たり前なんかじゃないように
君と過ごす毎日は
当たり前なんかじゃないんだよ

そうさちっぽけな
ことがしあわせだと
ほんの最近まで
気づかなかった僕は
馬鹿だな

息をするのを忘れるような
真っ赤に染まる西の空
君がくれた毎日を
確かめながら
抱きしめながら
明日も晴れるねと手をつなぐ

『当たり前なんかじゃない』
詞/曲 玉木洋平


今月のはじめ
娘が入院中に書いた詞に
曲をつけたその週にあの地震が来た

今この歌を歌うのは
かなり勇気がいる




月曜から長女がウイルス性の腸炎にかかってしまい
一晩中嘔吐のお付き合いをしていたら

昨日の夜オレも吐いてしまい
腹が痛くなったので

「や、やばい・・・!」と焦った

でも2食完全に抜いたら問題なさそうだ
こんなときに倒れるなんてできない!


今週25日に渋谷ガビガビの6周年で司会やります
ずっと前から約束していたことだから

1〜2曲歌うと思います


俺達のようなアマチュアミュージシャンが行う
チャリティライブの意義とタイミングについて

よせばいいのにいろいろ考えている

この話しは長いからまた今度
いや話さないかも知れない

今のところの結論としては
自分は賛同的ではないということ


先週はある意味緊張で興奮状態だったんだと思う
今週のほうが体はキツい


自分が元気にならないと

この歌を歌うかどうか
それはまだ分からない

アメリカ軍の行動力



「食糧をみんなに届けに来たんだ」

当たり前だろ?って顔して応える米軍兵士
日本政府、自衛隊にはなぜこれができないんだろう?
ガソリン使ってヘリを飛ばせるマスコミはなぜこれができないんだろう


まず「人命」
そのための「行動」

法律や体裁に縛られてそれが出来ないのなら
なんのための法律か
なんのための政府か

何を躊躇するのか


ちくしょう・・・!!!!

ありがとうの言葉の中に

以前

よく秋葉原で共演したあるミュージシャンが
「ありがとう」って言葉を乱発している(笑)

ホントに乱発
大安売り

本人曰く

「色々不足してるからね。

せめて「ありがとう」くらいは品切れにならないよーにしたいね♪」


素敵だなと思ったんで
オレも「ありがとう」乱発します!


ちなみに彼は
こんなバンドで活動してます

月ノ魚 http://www.h6.dion.ne.jp/~tanabow/

このバンドのアコギ弾きです



今は活動休止してるみたいだけど
そのうち復活するんだろう

ありがとうって言われて
イヤな人はきっといないよね

ありがとうの言葉の中には
人をやさしくしてくれる作用がある

のぶゆきんぐ
素敵なことに気づかせてくれて

ありがとう♪

若き健児よ、日本復興の先兵となれ(校長からのメッセージ)

http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

何度も何度も読み返しました
この先も何度も何度も読み返したい文章です
だからここに貼り付けておきます

さあ、前を向こう


以下引用



卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。
未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であっ た。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べる ことは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以 下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。
大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。
大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行く ものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。
多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社 会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。
楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。
君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。
学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。
誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理する のは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
「今日ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得る ことなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費に うつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


一言付言する。
歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だ が私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩と は何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮か ぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは 天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きる ということは何か。そのことを考える。
泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。
今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。
被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。
巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。
本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)
被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。
梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校

校長 渡辺憲司
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EGOTTAMAN GROUP
1st Album
『EGOTTAMAN GROUP』(DRLR-001)
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2018年9月8日(土)
山梨Northland Camper's Village
エゴッタマングループ
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2018年9月29日(土)
横浜THE CLUB SENSATION
タマ・ペティ&ブロークンハーツ
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2018年12月15日(土)
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