天竜浜名湖鉄道という
ローカル線に
乗ってきました
かつては
国鉄二俣線という名前だった
この路線
戦争期に
メインの輸送手段だった
東海道線が攻撃された場合の
迂回路として
作られたと記憶しています
自分が浜松に住んでいた
幼少期
線路はあるのに
いっこうに現れないその姿に
憧れを募らせていました
1時間に1本のその電車に
やっと乗ることができたのは
今の長女と同じ
5歳のころ
母にせがんで
乗せてもらった記憶は
鮮明に残っています
都会の電車では味わえない風景と
汽動車のエンジン音と揺れ
今はもう
当時活躍していた
キハ20ではないのが
非常に残念だけど
長女が
「パンタグラフがない!」
って感動していました
素晴らしい景色が続きます
風景の中に線路が溶け込んでいる
主役がいない
線路だけの風景を眺めながら
あと少し
あと少しと
母を説得しながら
線路脇で
主役の登場を待ち望んでいた
5歳の自分に
会えた気がします
ほとんどの駅や
周辺施設が
重要文化財となっているのも
この鉄道の特徴
どうか合理化の波を
すり抜けて
いつまでも
走り続けてほしいものです
掛川から天竜川を渡って
フルーツパークまで
1時間の旅でしたが
都会ではすぐに飽きてしまう子供たちも
とても楽しんでいたようで
あっという間だったようです
不思議だね
ローカル線に
乗ってきました
かつては
国鉄二俣線という名前だった
この路線
戦争期に
メインの輸送手段だった
東海道線が攻撃された場合の
迂回路として
作られたと記憶しています
自分が浜松に住んでいた
幼少期
線路はあるのに
いっこうに現れないその姿に
憧れを募らせていました
1時間に1本のその電車に
やっと乗ることができたのは
今の長女と同じ
5歳のころ
母にせがんで
乗せてもらった記憶は
鮮明に残っています
都会の電車では味わえない風景と
汽動車のエンジン音と揺れ
今はもう
当時活躍していた
キハ20ではないのが
非常に残念だけど
長女が
「パンタグラフがない!」
って感動していました
素晴らしい景色が続きます
風景の中に線路が溶け込んでいる
主役がいない
線路だけの風景を眺めながら
あと少し
あと少しと
母を説得しながら
線路脇で
主役の登場を待ち望んでいた
5歳の自分に
会えた気がします
ほとんどの駅や
周辺施設が
重要文化財となっているのも
この鉄道の特徴
どうか合理化の波を
すり抜けて
いつまでも
走り続けてほしいものです
掛川から天竜川を渡って
フルーツパークまで
1時間の旅でしたが
都会ではすぐに飽きてしまう子供たちも
とても楽しんでいたようで
あっという間だったようです
不思議だね
車窓の景色に溶け込みたくなりますよね
フルーツパークも行ったのですか?
娘さんたちは「ミスぶどう」ちゃんみたいでカワイイー
タモンくんのテンションが(笑)